やっぱり、ママにはかなわなかったな。

今、21歳になった娘の話ですが、20年が経過した今でも、あの時の苦悩は忘れられません。

 

それはそれは可愛い長女。

目に入れても痛くないとはホントでしたね。

初めての娘で、本当に可愛くて抱き癖がついてしまいました。

 

喜ばしい事に、妻よりも私の抱っこが気持ちよかったのか、

泣き出した時には私が抱っこをすると娘はご機嫌になるのでした。

私の腕の中で、スヤスヤと寝息をたてる娘の顔を見ると、思わず食べたくなってしまう程でした。

それはそれは妻が嫉妬するほどでした。

 

そんな娘が一歳の時に、妻のお腹には新しい生命が宿りました。

勿論、大喜びで私は「おねえちゃんになりまちゅねぇ」と、

絵に描いたような親バカぶりを発揮する毎日となりました。

少しづつ大きくなる妻のお腹。

 

ところが、娘のときもそうだったのですが、妻は早産との診断を受けており、

予定日の一か月前くらいからは入院の生活で、点滴とお友達でトイレ以外は安静という可哀そうな毎日でした。

でも、大事な赤ちゃんの為ならと、妻は勿論の事、私も出来る限りの協力は惜しみませんでした。

 

まず大変だったのが、やはり授乳でした。

妻は元々、母乳があまり出なかったので、粉ミルクを与えていたのですが、

これが泣き出すのが決まって深夜二時半。

ミルクの作り方の要領は分かっていたので大丈夫だったのですが、

次第に恐怖の夜となって行ったのです。

 

娘は赤ちゃんながらに妻が家にいない事に気付き始めたのか、

ミルクを与えても得意の抱っこをしても大声で泣き叫び、どんなに頑張ってみてもダメでした。

そこで、毎日のように見ていた大好きなアニメのビデオが有ったので、

真夜中にそのビデオを見せると少しは泣き止んでくれるのですが、

それも束の間で再び大声で泣き叫ぶのです。

 

そのアニメには、娘のお気に入りのシーンが有り、そこを過ぎると、巻き戻せという調子で泣くのです。

巻き戻すと一旦は泣き止んでくれました。

 

ビデオのお陰でしばらくは助かっていたのですが、ビデオ戦法にも限界が来ました。

ついに、お気に入りのシーンをリピートしても画面に目を向ける事もしなくなってしまったのです。

 

そして、恐れていたことが遂に始まったのです。

「ママー、ママー」と、入院中の妻には届かない叫びです。

 

何か手段は無いかと考えた末に取った作戦は、

振り返ってみると危険極まりない行為でゾッとしてしまうのですが、

娘を左腕に抱えて深夜の町をドライブしたのです。

すると、娘はママの所へ行けると感じたのでしょうか、不思議と泣き止んでくれたのです。

真夜中三時の娘とのドライブは正直かなり危険で辛いものでした。

私の毎朝は六時起床でしたので、キツかったです。

 

日中は、祖父と祖母が面倒を見てくれて大泣きする事も無かったのですが、

やはり恐怖の二時半はやってくるのです。

毎晩「ママー、ママー」の連続で、夜中のドライブの効果も薄くなってきました。

 

私ももはや成す術がなくなり、妻に打ち明けました。

すると妻は提案をしてくれたのです。

病室に連れて来てみたら?というものでした。

しかし、さすがにそれは不可能だと思いながらも看護師さんに相談してみると、

一度連れて来てみたらと言って下さったのです。

でも、真夜中に病院で大泣きされたらと思うと躊躇しました。

 

ダメだったら何とか作戦を練って頑張るしか無いと心に決めて、

その日の夜、娘を抱えながら運転をして病院に向かいました。

すると、まるで魔法にかかったかのように病院の玄関に着いたとたんに娘が静かになったのです。

そのまま妻の病室に行くと、何と妻の横でスヤスヤと眠るではありませんか!

 

私はホッとしたのと同時に、一抹の寂しさを覚えてしまいました。

私がどんなに作戦を立てて頑張っても、ママにはかなわないんだなという気持ちからでした。

 

でも、ここまで必死に頑張った深夜の日課は、何物にも代えられない素敵な想い出です。

娘と妻に感謝。

そして、病院の皆様のご厚意に大感謝です。

子育ての楽しみと共に苦悩の日々は幕を閉じ、元気で大きな息子が無事に産声をあげました。

 

今では21歳の娘と19歳の息子、二人とも見事なまでのママっ子です。

ママの愛情って本当に大きく、強いんですね!

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